年の瀬に一瞬故郷に帰る事ができた。しばらく帰っておらず、近所の地名の記憶もままならない。駅から出ると吹雪に出迎えられ、時期のせいもありヒト気のない町はまるでない。高校生の時からなにも変わらない町並みもある。一歩一歩がまるで記憶の奥へと向かって行く様で不思議な感覚だった。なにかに遭遇する度に思わず声がでる。「あれ、これ誰ん家だっけ?」声をかける相手は当時の自分。自分の中昔の自分と会話をしながら行きつけの駄菓子屋にいく。一年半前までは元気がよかったおばちゃんももう居なかった。娘さんに位牌をだして頂きお線香をあげる。なにかこう大きな変化が時間の経過を感じさせ、しかたなさと、抵抗感が同時にこみあげる。大分活力がなくなった町並みを見渡して、当時の活気はどこにいってしまったのだろうと振り返るがきっと理由は単純だ。80年代から都市〜地方へ経済の活気が移り、まるで血管の末端まで一度血流が行き渡ったが中央の勢いがなくなり一時的に広がった血管がまた活動しなくなった。血液は冷え上がり、管だけがのこった。おまけに郊外に置かれた巨大なショッピングセンターに人があつまり、本当に駅前は空洞化してしまった。全盛以前の本来の地方都市の姿に戻ったのだろうが、僕らが生活した居た頃が記憶にあるせいで余計にそれを認めたくない。「まだここでなにかできるのではないだろうか」。でもそんなに単純じゃない。ただでさえ経済に対して消極的になっている土地で、無益な創造や活動からはじめ盛り上げようだなんて運動に耳を向けてもらう事すら難しいんだろう。まだ自分の周りに山積する問題にかこまれている中、なにも手出しなんかできない。むしろ、また山が高くなった事におもわずため息をついてしまう。
リュックをせおって
リュックひとつで旅に出たのはいつぶりだろうか。大学生、、、かなあ。はじめてのいわゆる海外でのバックパッカー経験は大学2年の時で大学の友人に誘われてタイにいったのが初めてだった。合理的な道具を選び、できるだけ荷物を小さくした。タイは暑いから必然的に荷物はすくなくなる。けど冬のパリにもかかわらず今回はもっと荷物を少なくできた。これは大分考え方がかわったんだな〜とか、当時の事を思い出す。
一番の進化系は、大学三年の時の交換留学。留学先を一ヶ月さぼってキューバ、中米の旅行に出かけた。ピッツバーグからメキシコシティーまで3日間バスにのりっぱなしで移動した。あのとき見た窓からの眺めは格別だった。まるで映画の様な車窓からの風景。夜は月や星が煌々と光っていた。シティーにはいきなり朝の4時くらいに放り出された。あの時、ゆっくり物事を感じ、考え、租借していった。そういう経験が礎になっている。
原点は、大学一年生。友人と二人で日本一周をした。全県を夏休み中に回る。18切符、野宿。衣類の洗濯は公園でする。一食は300円くらいに押さえる。そしてかわいいと思った女の子に声をかけて写真を撮る。友人と喧嘩ばかりだったが、今となっては貴重な思い出だ。そういえば、あのときした喧嘩は今妻とする喧嘩に似ている。大抵自分が悪い。
学生のときはよく仲間と車で遠出もした。5人が寿司詰め状態で長崎は軍艦島からジリジリと東京にもどる旅。特に大阪東京間は何度往復したかわからない。青森の三大廃墟をめぐる旅。交換交換に運転するのだけれど、よく自分の番はすっとばしてもらうために寝てたな〜。シノゴの使い方もままならなくてよくフィルムを無駄にしていたっけ。
旅はいつもゆっくり、ゆっくりだった。目的も大してなく、じっくりと寝て、たくさん食べて、行きたいところに行く。しばらく、仕事という呈に甘んじて、そそっかしい旅ばっかりしていたが、今回はまた原点に戻る事ができたような気がする。電車に乗り間違い、寝過ごし、間に合わず。でも遠回りしたおかげで土地勘をつかめたり、人とであったりもする。それでいい。空港に閉じ込められても、こんなになにもしなくて良い時間を与えられた幸せに感謝し、いすにふか〜く腰を下ろし、いつもよりゆっくり呼吸をしてみる。シャンプーも持たず、着替えも持たない。だからこそ見えてくるものがある。今の自分、あの時の自分、もう一度再会した今回の旅。またあの事に戻れる。またすぐ戻る。今はそう自分に言い聞かせている。
スッパリ!
あのレコードが手に入らん〜!とネットを探しているとある日、データとして再販されていたりする。のを目の当たりにすると、レコード探しに費やした時間はなんだったン〜、と悔やみます(まあ、それはいろんな道草的出会いがあって良いのです、、、、。)、TRACKTORもコントローラーと、インターフィェスが一体化したところで、パソコンが、データさえあればどこでもOK!みたいな状態になった今、もっと上位へ走り出せる状況なんじゃないかと。ただ、初心者の僕に関して言えば、レコードってなんなん?タンテってなんなん?という事を実習を持って知れたのが大きかった。レコードを使う方がそりゃたのしいけど、パソコンでももっといろいろできるだろうと。ちょっと意識の変化が。OUTPUTがデータになるんだったらソースもデータの方がよい。その分ういた時間をもっと有意義に費やせる。ということで、レコード整理はまだまだ続く。というか、データもレコードも一気に処分してしまいたい、というのが実の本音。
百四十文字には収まりきらないこと
丁度昨日からマスロック(math rock)たる言葉を知り、数学的なリズムや音階で演奏する要するにプログレの代意語みたいなもので、見た目もラフ、ヴォーカルも居ないトリオ構成でエフェクターを使いノイズにいかない程度でメロディアスじゃあない位のぱっと聞きテクニカルでかつ、しゃれおつな音楽なのか〜と、興味を持ち早速、その代表格tera melosが来日中との事を京都のフライヤーで知り、京都から戻ったその足で、代官山ユニットに行きました。経緯長失礼。音源なにも聞かずとりあえずライブに飛び込んだのですが、最初20分くらいの曲なのかメドレーなのか、アドリブとリズム分解の応酬の中にギターのショートディレイと、ループをどんどん乗せてきて流れる流れる、これがマスロックか〜とかつてbattlesにピンと来なかった僕にもようやく突き刺さりました。テラメロスに学ぶ事はやっぱり楽曲は複雑だけれど、プログレの様に演奏者の構成を複雑化していない事。少人数でフットワーク軽く、色々な状況を作り出す姿勢。機材の進化もあるけれど、社会と時代の変化の影響でもあるはず。このジャズ的、プログレ的でありながら、視覚的にも分かり易くまとめてプレゼンするのも、分かる奴だけついて来い以上にきちんと間口を広げているからなのでは。音楽的には複雑でありながらも、「おしゃれ」「自己完結」なだけでなく、理解のない相手へも出来る範囲での共有をしていく姿勢は学ぶ部分が多かったです。個人と個人がしっかりつながる時代には、こういう音楽も遠く離れた個人同士を繋ぎある程度の市場になる。大衆化しなくても十分それで制作と発表を繰り返して行けるスケールにはなるのだから、自由な表現と適度な消費のバランスを現実的に構築するのも考え方次第。ライブ会場ではアマゾンでも在庫が購入しずらいteraの1stを購入。2ndは歌ものも増えている様なので、次回に。やっぱり初期の構成を維持できないのもこのジャンルの宿命かもしれないですね。60分に奇想天外な事を詰め込んで、さらにもう60分それを越える様な展開はなかなか難しいはず。その点テクノの様にトラックを永久に小出しにしてアルバムを作らないjens zimmermannみたいな存在は、ある意味、点々とリリースされていくトラックが自動的にJZの音楽的奇跡になっていくっていうのは健全だなぁ。大体アルバムで表現するのって、そもそも、、、、なんでなの?と経済的?あ、印税的に、シングルとアルバムの区分もあるんでしたよね。。。?そういう区分に音楽が条件付けされるのも勿体ないなあ〜。バンド一枚一曲40分とか、良いけどな〜と。とりあえず、USアマゾンにて、don caballeroと、hellaを購入して、マスロックの入り口から一歩踏み出します。続。



